ゴリパパの日本おみやげ(お土産)いちば

日本全国のおみやげを探し、紹介するブログです。旅に出かけたとき、どのようなおみやげがあるのか名産は何があるのか、探すのに苦労するものですね〜!参考になればと思って書いています。
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続き
汨羅(ぺきら)の川で身を投げた屈原、国と人民に為に尽くした屈原は、人々にいっそう惜しまれました。
あるとき、ひとりの人が汨羅に、屈原の供養の為に餅を投げ込みました。
そのよる不思議な夢をみました。
「餅をわたしの供養のために投げ入れてくれるのはありがたいが、すべて魚に食べられてしまう。そこで笹の葉でくるんで投げ入れてくれないだろうか?」
と。
さっそく、笹の葉でくるんで、川に投げ入れました。これが、ちまきの起源と言われています。
端午の節句(5月5日)と屈原の命日が重なったということです。
屈原も、いまも、盛大にちまきが食べられていることをさぞかし、びっくりしていることでしょう。

機会があれば、7月7日の七夕や、9月9日の重陽の節句も、書いておきたいですね〜!
とくに、重陽の節句は、大好きですね〜。
むかし、陶淵明(中国の詩人)が「酒の上に菊を浮かべて飲む」
ことをはじめたらしいんです。
風流ですねぇ〜!
わたしも毎年、9月9日は、日本酒に菊を浮かべて飲む癖がついてしまいました。
今日は、5月5日ですね〜!そこでちょっとうんちくを!
その昔、中国に、屈原という人がいました。みなさんも、中学か高校で習ったことがあるのではないでしょうか?もしかしたら習ってないかもしれませんね〜(^^;)
要約「屈原 既に放たれて、江潭に游び、行々 沢畔に吟ず, 顏色 憔悴して,形容 枯槁せり・・・・」
屈原は、すでに官僚(首相補佐)を解雇され、川やその淵をさまよい、詩に今の世の中を託していた。顔色はひどく疲れきっていて、みるからにやつれていた・・・・・・」
じつは、5月5日は、屈原の命日なんです。
それと、ちまきがどういう関係なのですかというと・・・・
漢文の続きを・・・・・・
「それを見ていた漁師のおじさんが言う。あなたは、首相補佐官ではないですか?どうしてこんな所にいるのですか?
屈原は言う。
世を挙げて、皆濁り、我一人清んでいる。衆人皆酔い我一人醒めている。これをもって放たれてしまったのである。
漁父は言う。
聖人は、モノにこだわらず、世の中の変わりとともに、次第に移り変わってゆくモノではないですか。
なんのゆえに、深く考え、自ら、放たれしむるようなことをしたのですか?
わたしはこういうのを聞いている。髪を洗ったばかりの者は、必ず冠の塵を払ってからかぶり、湯浴みしたばかりの者は、必ず服をふるってから着るもです。どうしてわたしの清らかな身に、埃を付けるようなことができようか、いいや出来ない。いっそこの湘水の流れに身を投げて、魚の餌食となろうとも・・・出来ない。

そこで漁師のおじさんが言います。(この漁師のおじさんがくせ者です)
「滄浪(そうろう)の川の水が澄んだのなら、私の冠(清い象徴)のひもを洗おう。」
「滄浪(そうろう)の川の水が濁ったのならば、私の泥足(汚い象徴)を洗おう。」
と舟をこぎながら去ってゆくのです。
漁師の最後のことばは、こういう人生もあるのではないですか?と問いかけていているように思えます。そのむかし、漁師のおじさんも同じ経験があるのではないでしょうか?


そのような生き方が出来なくて結局、屈原は汨羅のほとりで、投身自殺をしてしまいました。

明日に続く・・・・・
今日は眠いです・・・・・・・・明日にします!